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2011-07-24

お知らせ:「伊是名の舞姫たち…LADY 4」をブログリリースしました

伊是名のジーファーのファンのみなさま

本日、以下の記事を、アメブロ、Twitter、奄美の風に投稿しました。

奄美のポータルサイト「奄美の風」のヘッドラインに連動表示されます。

アメブロ「TOSHIJIのブログ」:http//ameblo.com/ixprime
ポータルサイト「奄美の風」 :http://amaminokaze.com/html/
Twitter: @vin_104

*** 2011/07/24 発信 ***

タイトル「伊是名の舞姫たち… LADY 4の紹介」

IZENA LADY 4
Four idol girls of IZENA Ryukyu Dancing Team were accepted as an accredited associate-master, named Jun Natori, of the Izena School, in June Nakano, Tokyo.

「伊是名の会」友の会のスタッフ、S郎くん、S朗くん、Hのくん、そして私の4人…にとって「おじさん」は禁句である。

なぜなら…

「同窓です」

というと、いろいろ差し障りがあってはちょっとだし…

… ぜったい 言えないし … (*⌒∇⌒*)

ので、AKB48にならって、OJS4とうそぶく…(AKB48のファンのみなさん、すみません)

そのOJS4の密かな推しメン…若き伊是名の舞姫たちを紹介しよう。


先月(6月)、琉球・奄美の舞踏集団「伊是名の会」に、ひさしぶりに名取(準名取)が誕生した。

OJS4にとっては、あんなに小さかったこどもたちがこんなに立派な女性になって…言葉もありません…(*^.^*)

この若き舞姫たちの素晴らしいメッセージ記事に、ぜひお立ち寄りください。


★1:紹介(はじめに)http://izenanokai.blog42.fc2.com/blog-date-20110628.html

★2:渚さん http://izenanokai.blog42.fc2.com/blog-date-20110629-3.html

★3:美和さん http://izenanokai.blog42.fc2.com/blog-date-20110629-2.html

★4:美咲さん http://izenanokai.blog42.fc2.com/blog-date-20110629-1.html

★5:望さん http://izenanokai.blog42.fc2.com/blog-date-20110629-0.html

Good Luck for the Future!

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2011-07-03

風は南から…6月を振り返る

こんにちは。
暑いですねえ(>_<)
ここ数日の千葉は奄美より暑いかも(>_<)。


先週の日曜日は中野サンプラザで4名の名取(準名取)襲名披露パーティーがあり、当ブログでも紹介させて頂きました。AKBもKARAも歌う現代っ子たち。琉球舞踊もステージングできる。伊是名流も、初代朝献による琉球文化の浸透、2代朝親による奄美芸能の確立、そして現代の伊是名が東京に拠点をおいた国内外、TVなどメディアでの展開とつながってこの先、どうプロジュースされていくのか楽しみです。

伝統的な琉球舞踊とはちょっと違う伊是名の舞。より若い現代っ子世代が登場して、ますます楽しみになってきました。

ちなみに、今からでも琉球舞踊を学びたい…準名取たちも稽古に励んだ伊是名流の教室は都内にたくさんあります。詳しくは伊是名の会ホームページまで。


シリーズの「東支那海1866年…宴の舞」中国福州編も、とりあえず一段落しました。あの時代、冊封使節一行はどのようにして、福州から琉球王国那覇港まで航行してきたのか、使録をもとに、東支那海の地図を広げながら空想時間旅行を試みました。原田のぶお先生の本なくしてはとても出来ない空想航海でした。

今月はそろそろ奄美編パート2に、その前に上海へちょっと寄り道編。もう少しお待ちください。

お楽しみに
2011-06-15

東支那海1866年…宴の舞★15

注:一部フィクションです。

★15
趙新は那覇港入港の夜、福州からの航海を振り返った。この夜は九夜月…半月よりやや大きい。微かな月明かり。海面が揺れてフラッシュバックしている。


琉球国は明および清の時代を含め、東支那海を中心に積極的に外洋貿易を進めた海洋国家である。かってのベネチア都市国家に似ている。琉球国側の海人は中国をはじめ周辺国との貿易により東支那海の島々、航海路を知り尽くしていた。

9日に福州を開洋した封舟は帆を大きく孕ませて今の台湾海峡を通過し、1日半かけて小琉球(台湾)北部の都市、基隆(キールン)沖に浮かぶ半架山に達する。この大きな小琉球が清国の化外の地であったことは歴史的に良く知られている。半架山を右手に見ながらやや北東寄りに航海を進めるにつれ、海の色が青から黒に変わっていく。黒潮のうねり。この辺りで冊封使一行は過溝の儀を行う。国越えと航海の安全を祈る儀礼とされる。正使趙新が明以来の冊封使たちに倣って、この儀礼を挙行したのは言うまでもない。ここから先は正史「大明一統志」の中にいっさい記述がない尖閣諸島(沖縄県石垣市)。趙新はそれを140年前の正使、徐葆光が残した「中山伝言録」と琉球国側の看針通事と望遠鏡を独り占めして、いちいち針路を照合確認した。小琉球の半架山から1日後、つまり福州から2日半で釣魚山に達する。

「釣魚島でございます」

趙新は看針通事の中国語への翻訳音を聞いて、冊封使録の記録に照らし、釣魚嶼を確認する。さらに

「久場島でございます」

「赤島でございます」

趙新は同様にそれぞれ黄尾嶼、赤尾嶼と確認する。歴代の冊封使たちと同様のこのやりとりの結果が「趙新志略」の記録にも残ることになる。

ちなみにこれら琉球王国の尖閣諸島の島名がそれぞれ魚釣島、久場島、大正島と統一されるのは当時の国際法に従った明治政府による。他方、冊封使たちの帰路であるが、これは風向きが北西に変わる11月に那覇を出て、慶良間諸島の安護の浦かあるいは久米島でいったん風待ちをし、途中の尖閣諸島を気にせず、一気に大陸沿岸を目指すルートがとられる。ほとんどが途中、嵐に遭遇しており、福州~琉球往還は冊封使節にとってはまさに命がけの航海であった。


福州を出て3日目、久米赤島(大正島)をまわりこんだ辺りで風が凪いだ。ほぼ2日間、無風と潮流に翻弄された。

「天使さま。天気は安定しております。慌てることはございません」
「むしろ潮流を使ってそのまま北上し、久米島を目指したほうが良いかもしれません」

看針通事の言葉に安心したのか、趙新はここでやっと自室でくつろぎ、泡盛のラベルを眺めて徐葆光の「中山伝言録」を開いた。読み進めて、「美しい女性のような楽童子」に出会う。一瞬…どきっ、と嫌な思いがしたが、突然、外で大音声とともに大歓声があがった。

「天使さま!」

慌てて泡盛のラベルをしまうと

「久米島にございます!」

看針通事の声も喜びに満ちていた。趙新は冷静を装い、久米島の翻訳音を「姑米山」と記録した。が、内心は楽童子の文字に動揺していた…に違いない。久米島到着は福州を出て6日後、6月15日の朝8時のことであった。慶良間諸島を間に挟んで那覇まであと100キロメートルほどの距離だ。早船が慶良間と那覇港に飛んだ。いや走った。慶びと幸せの島、慶良間では首里王府に封舟到来を知らせる烽火が上がった。

清国最後の冊封正使趙新、琉球国最後の王尚泰の地である那覇港に入港したのは、福州を出て12日後、1866年6月21日であった。


以上で清国福州編を終わります。引き続き奄美編第2部をお楽しみください。その前に番外編「上海編」をどうぞ。

注:伊是名のジーファー「清国福州編」は原田禹雄(はらだのぶお)著の「琉球と中国 忘れられた冊封使」吉川弘文館(2003)、「尖閣諸島 冊封琉球使録を読む」溶樹書林(2006)、原田禹雄(はらだのぶお)訳注の「中山伝言録」溶樹書林(1999)を参考にしました。

TOSHIJIジーファー

投稿:
伊是名のジーファー 2011年6月15日

theme : 歴史大好き!
genre : 学問・文化・芸術

2011-06-14

東支那海1866年…宴の舞★14

注:一部フィクションです。

★14
1866年6月9日、清国福州。2隻の封舟、琉球国那覇港に向けて開洋。趙新が記した「続琉球国志略」(原田禹雄訳注)をもとに、福州から琉球国に至る航海にタイムトラベルしよう。

帆船の航海は風向き、潮流の方向、目印となる標識島を頼りに舵と帆を操って行う。夜は月の位置、星の配置を読む。風向き、時刻、舵方向は備え付けの羅針盤の文字で表示する。GPSナビゲーションなどない。羅針盤の表示は北(0時)を表す「子」から右回りに丑寅卯(東、6時)辰巳午(南、12時)未申酉(西、18時)戌亥子(北、0時)である。


同治5年(1866年)6月9日、われわれ趙新と副使于光申の一行は、午前6時開洋、南西の風、辰針を用いた。正午、正南風に変わった。辰針を用い、管塘を過ぎた。午後4時、東湧と東沙の洋面を過ぎた。
…この夜は有明月、微かな月明かり。

10日、西南風に変わり、辰針を用いた。午後4時、半架山(台湾の北に位置する小さな島)を過ぎた。
…この夜も有明月、ほとんど月明かりはない。

11日、南風に変わり卯辰針を用いた。午後6時、釣魚山を過ぎ、午後8時、久場島を過ぎた。午後10時、寅卯針を用いた。
…この夜は暁月、月明かりは無い。星が頼り。頭上をかんむり座、東方向にヘルクレス座、こぎつね座、いるか座を見ながら操舵する。

12日、午前6時に南~南西の風に変わり、卯辰針を用いた。正午、南~南東の風に変わり、寅卯針を用いた。午後2時、久米赤島を過ぎ、午後4時に風が止まった。この夜、南~南東の微風に変わった。
…この夜は晦日月、ほとんど新月で月明かりはまったく無い。ここで出てくる釣魚山から久米赤島までは沖縄県石垣市の尖閣諸島の島々である。

13日、風は止まり、船は潮流に流されて航行した。この夜、午後10時、北~北東の風が起こり、卯辰針を用いた。
…この夜は朔、新月だ。もし星がなければ漆喰の闇である。

14日、北~北東の風に卯辰針を用いた。夜も同じ。

15日、東風に変わった。辰巳針を用いた。午前8時、姑米山(久米島)が現れた。

21日、那覇入港。

★15
趙新は那覇港入港の夜、福州からの航海を振り返った。この夜は九夜月…半月よりやや大きい。微かな月明かり。海面が揺れてフラッシュバックしている。


TOSHIJIジーファー

投稿:
伊是名のジーファー 2011年6月14日

theme : 歴史大好き!
genre : 学問・文化・芸術

2011-06-13

東支那海1866年…宴の舞★13

注:一部フィクションです。

★13
琉球国への冊封使節の出発の日取り、航海ルートが決まった。開洋(出帆)は6月…東支那海の南風が安定し、琉球の梅雨が明ける季節であった。


出発までの間、趙新は福州宿泊所の自室に閉じこもり、冊封正使として必要な知識、情報の整理にとりかかった。まず歴代の正使が必ず目を通したであろう以下の自国の正史。

「大明一統志」巻89以下の「外夷」を含む
「明実録」
「明会典」
「明史」
「清実録」
「清会典、同事例」

これらは3年に一度行われる科挙の修学の時にも学んだが、あらためて目を通しておいた。趙新は大国清の官僚、外交大使として自国の儀礼、歴史、地勢や外交の出来事を正しく理解しておくのは当然の責務と心得ていた。冊封使推薦が決まったとき、それを回避することばかりを考えていた情けないあの男とは思えないほどの変貌ぶりである。疲れると外の溶樹(ガジュマル)の木陰で風にあたるか、暗い夜は自室で泡盛のラベルで目を休ませた。


さらに趙新は歴代の冊封使たちが記録した冊封使録を取り寄せ、それらを読みはじめた。新しい使録から順にあげよう。

李鼎元(りていげん)「使琉球記」1802
周煌(しゅうこう)「琉球国志略」1759
徐葆光(じょほうこう)「中山伝言録」1721
汪楫(おうしゅう)「使琉球雑録」1684
張学礼(ちょうがくれい)「使琉球記」1664

ここまでが清代の記録。さらに明代の記録が続く。

胡靖(こせい)「琉球図記」1653
夏子陽(かしよう)・王士「使琉球録」1606
蕭崇業(しょうすうぎょう)・謝けつ(しゃけつ)「使琉球録」1579
郭汝霖(かくじょりん)・李際春(りさいしゅん)「重編使琉球録」1561
陳侃(ちんかん)「使琉球録」1534

これらの膨大な資料から趙新は琉球の成り立ち、政治の仕組み、琉球往還などのヒントを仕入れることを考えていた。5月末、思わぬ訪問客を受ける。前使の林鴻年(りんこうねん)だ。泡盛のラベルと同様に、この高翁の訪問と再会約束は琉球国出立の励みになった。

寄り道するが、琉球宮廷舞踊の不世出の天才、劇聖と称される玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)が登場するのは上にあげた3冊目徐葆光の「中山伝言録」の時代であり、琉球芸能が記録されているのは4冊目汪楫の「使琉球雑録」である。琉球芸能・宮廷舞踊の貴重な資料となっている。

趙新が2冊目周煌の「琉球国志略」を読み終え、3冊目徐葆光の「中山伝言録」にとりかかり始めようとした頃、ついに出発の朝を迎えた。

★14
1866年6月9日、清国福州。2隻の封舟、琉球国那覇港に向けて開洋。趙新が記した「続琉球国志略」(原田禹雄訳注)をもとに、福州から琉球国に至る航海にタイムトラベルしよう。


TOSHIJIジーファー

投稿:
伊是名のジーファー 2011年6月13日

theme : 歴史大好き!
genre : 学問・文化・芸術

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Author:TOSHIJI
こんにちは
伊是名の会スタッフ、文化広報担当(自称)。踊れない、歌えない、飲み会を断れない…が特技。伊是名のステージの見えないところに光をあてる…つもりで取り組んでいます。

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