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2010-05-02

東支那海のんびり船の旅 バーチャルバージョン

風薫る5月。ゴールデンウイークが始まった。奄美地方も若夏(うりずん)の季節が過ぎて、そしてやがて本格的な夏を迎えることであろう。奄美地方に旅をするなら飛行機もよいが、鹿児島から船でのんびりいくのも良いかもしれない。点々と延々とつながる道の島。沖縄県与那国島までの約1200キロの間に実に多くの島々が連なっている。

Queen Coral Plus

 仮に今日の夕方、つまり5月2日の夕方に鹿児島から船に乗って奄美、那覇に向かうとしよう。この日の運航船はマリックスライン社のクイーンコーラルプラス、全長143.3m、巾21.6m、テニスコート5面ほどの広さ、総トン数5910トン、速力21.4ノット、客数定員470名の大きなカーフェリーだ。リッチに特等で、の余裕もないので少しがんばって二等寝台洋室のチケットを購入する。奄美大島の名瀬まで片道14,200円、那覇までなら21,200円なり。ちなみに空の旅なら奄美の笠利空港まで20,800円(×2の往復割引)となる。フィンスタビライザーの横揺防止装置付き、船内はレストラン、売店、展望浴室、ゲームコーナー完備、トイレもウォッシュレット完備の快適仕様。鹿児島からの奄美・沖縄航路は他に、クイーンコーラル8、A”LINEマルエーフェリー社のフェリーあけぼの、フェリーなみのうえを合わせて巨大4船が連日交代で就航している。4船の客数合計は2408名、臨時の船室も使えば約3000名強、人だけでなく食料、衣料、医薬品、教育資材、機器等を運ぶまさに離島のライフラインである。

 夕方6時、まだ明るい鹿児島新港を出港。穏やかな錦江湾を進むとやがて夜、外海の大隈海峡に近づくにつれ波の振幅が大きくなってくるのがわかる。漆喰の暗闇、ではなくてこの日はほぼ満月、明るい夜だ。東支那海の夜空の月は美しい。心地良い南風(はえ)を切って日付が変わる24時少し前にクイーンコーラルプラスは北緯30度を越える。トカラ列島の口之島や中之島が見えるだろうか?軍政下の戦後直後であればアメリカだ。北緯30度線を不法に北に越えれば密航、それを逆に行く。

 樺山久高を総大将とする薩摩軍3000人が100艘近くの軍船を組んで山川港を出発したのは1609年の3月4日水曜日。軍勢は屋久島の西に浮かぶ口永良部島に集結した後、3月6日金曜日、東支那海に向けて一気に南下した。歴史に記す薩摩軍の奄美、琉球への侵攻開始である。新月の漆喰の闇にもかかわらず、走りに走って(漕ぎに漕いで)、薩摩軍は翌7日土曜日には約230キロ先の奄美北部笠利湾に到着した。大島の軍勢が守備抵抗したが翌日には制圧、さらに奄美中南部の大和浜、南部の西古見も順次制圧した。薩摩軍はさらに海路を徳之島に向けて、秋徳湊(現在の亀徳港)、その南方2キロの亀津を攻め、双方に死者が出るほどの激しい戦いの末に3月22日日曜日、満月が美しい日に、徳之島を制圧した。3月24日火曜日に沖永良部島、大島の東に位置する喜界島が降伏。これで琉球王国の北の鎮めであった奄美諸島は、徳之島の西方65キロに浮かぶ硫黄鳥島を除いて全て制圧され、やがて島津の直轄領となる。島影から殺戮、強奪、焼き払いに怯え、逃げ惑う島人たちの悲鳴が聞こえてくるようだ。このような悲しいことを想像しているうちにも、クイーンコーラルプラスは奄美大島の名瀬港に向かって航海を進め、リズミカルなエンジンの音の中で、やがて深い眠りに入った。

 フェリーの窓際に立てばトカラ列島南部の諏訪瀬島、悪石島、宝島の島影が見えただろうか?鹿児島を出発して約11時間、海路370キロ、クイーンコーラルプラスは東支那海に浮かぶいくつもの小さな島影を遠くに見ながら、やがて名瀬沖に達した。名瀬湾に浮かぶ立神と市街の中央にあるおがみ山を直線にとってゆっくり接岸する。5月3日、朝5時、早朝の名瀬港に到着。かって奄美諸島は、つまり大島、加計呂麻島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島は1945年以降1953年12月25日まで、日本から分断されてアメリカ軍政下にあった。パスポートなしでフェリーを降りれば不法入国だ。そんな余計な心配とは無関係にクイーンコーラルプラスは名瀬港を離れ、次の目的地である徳之島の亀徳港をめざす。コバルトブルーに浮かぶ緑豊かな、ひときわ大きな山々を遠く見ながら、やがて太平洋側へ一度出てから亀徳港に9時10分着。ここは1609年、秋徳湊の戦いと記録される薩摩軍との激戦地で知られる。さらにフェリーは再び東支那海に向けて、沖永良部島の和泊港11時30分着、与論島の与論港に13時40分に到着する。沖縄本島北部の辺戸岬まではあとほんのわずか20キロの距離だ。

Queen Coral Path

 薩摩の軍勢は3月24日に奄美諸島の制圧が終了すると、これまた休むことなく琉球への侵攻を開始する。薩摩兵にとっては週休2日制もまったく関係ないのである。疲れを知らない薩摩軍は3月26日から琉球軍との戦闘を開始、双方犠牲を出しながらも4月1日水曜日、首里城を包囲。4月5日日曜日に尚寧王が降伏。この日は新月で月もなく、琉球王国にとって悲しみの暗い日となった。1609年5月15日金曜日、尚寧王は首里城から鹿児島へ強制移行させられる。ちなみに時代は降って1945年終戦とともに沖縄も日本から分離してアメリカ軍政下になるが、日本復帰を果たすのは1972年の5月15日である。1609年の薩摩軍による奄美・琉球侵攻は、海邦の鎮めであった琉球王国の独立の土台を揺るがし、美しい月の光を暗く揺らすかのように、島々に幾多の苦難を与え続ける始まりでもあった。

 前日の夕方に鹿児島を出発したクイーンコーラルプラスは、沖縄本島中部の本部港に寄った後に、そろそろ最終地、那覇港に到着する。デッキから那覇の街を見てみよう。遠く首里にも想いを馳せよう。5月3日夕方の6時40分、那覇港着。鹿児島を出てからほぼ24時間、670キロの船旅であった。しかし、これでまだ半分、その先にはさらに慶良間列島、宮古列島、八重山列島とまだまだ続く。果てしなく広くてもこの東支那海の島々は、やがて同じ南風を受けて、そして最も輝く夏を迎える。快適で近代的なフェリーに乗って、たまには島々を見ながらのんびりする旅も良いかもしれない。


投稿:伊是名のジーファー 2010/05/02
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theme : 歴史大好き!
genre : 学問・文化・芸術

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伊是名の会スタッフ、文化広報担当(自称)。踊れない、歌えない、飲み会を断れない…が特技。伊是名のステージの見えないところに光をあてる…つもりで取り組んでいます。

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