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2011-05-18

東支那海1866年…宴の舞★3

注:一部フィクションです。

★3
脱線を恐れず書きすすめよう。

奄美諸島には当時の文字の記録が極端に少ない。皆無である。江戸時代にいくども花開いた町民文化の香りすらない。姓名ももたない。士農工商はもちろんない。この程度の表現であれば広い日本、似たような地域がどこかにあるかもしれない。

しかし大きく違うのは、それが意図的に禁止・放置された産物であった、と言えることである。薩摩藩は島民の生活全般を細かく規制した。和装禁止、姓名禁止(服装、髪型、姓名については特定の支配者層のみ琉装と一文字姓を許される)、寺小屋などあるはずがなく読書算盤は機会排除、さとうきび以外の主農業禁止、銅銭などの通貨の禁止、間切りはもとより村落から出ることは許されない、生活必需品はさとうきびの代金として渡される薩摩藩の島内限定使用紙切れで交換、もしくは物々交換(バーター)である。

沖縄県の宮古、八重山列島では首里王府への上納品としての織物にまつわる悲話や、農産物の収穫に関係なく人そのものに税をかけて集落単位で積み上げ、社会的弱者の分も含めて上納する人頭税なるとんでもない悲話をよく目にするが、奄美諸島ではこれに相当するのが薩摩藩へ全品を納めるさとうきびである。

島民はこれを納めることができなければ大農家が税を立て替え、家族と離れたうえに身分を落として、ほぼ一生をその家に仕える辛い生活を送ることになる(家人(やんちゅ)制度と呼ぶ、悲しい隷属制度のひとつ。村ごと廃墟と化したとの記録もある)。3年任期の島代官にとっては、台風が来ようが飢饉になろうがまったく関係なく、さとうきびの収奪だけが続く。

薩摩藩支配下のほぼ300年間ずっとこうだったのか、と問われると私にはわからない。ただ、現代になって書かれた奄美関係の書籍はだいたい似たようなことを書いている。(大山麟五郎、原井一郎ほか参照)

昼はさとうきび畑で働き、夜は月光下で自分たちの食べる芋をつくる。なんとも言えない島々の光景が泪目に見えるようだ。楽しみといえばシマウタ、豊年祭や祈念祭などのカケウタだけであろう。文字は禁止されていたから当然、口承だ。泪目ながらも耳からは心強いシマウタが聞こえてくるようだ。ちなみに奄美のシマウタは沖縄の島唄とは異なるが、どちらも心に響くものがある。

★4
奄美諸島には別の側面がある。薩摩藩の遠島処分の地だ。薩摩藩士の重野安繹(やすつぐ)もそのひとり。

投稿:伊是名のジーファー 2011/05/18
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