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2011-05-21

奄美帰郷公演と伊是名の記憶

今年1月、伊是名の会の定期公演会(帰郷公演)が奄美市で開催されたが、そのときチケットを実家の父母に届けた。公演が終わってすぐに母から電話がきた。電話の向こう…それはなんと、昭和30年代の伊是名の記憶であった。


昭和30年代初め、奄美大島の南部の海沿いの小さな村、大和村今里集落。昭和の大合併まっさかりの頃、大和村住民は近隣の古仁屋・宇検、または名瀬市のどちらに合併するかでもめていた。漁業側住民は古仁屋・宇検へ、漁業以外の住民は名瀬市への合併を譲らない。今里集落の区長をしていた山田権太(母の父、つまり私の祖父)の住居宅には漁業組合の若衆が連日連夜、多いときで100人近くがおしかけては大論争を繰り返していたらしい。今里集落は周囲を400メートル近い山々に抱かれ、さらに後方には奄美諸島の最高峰、湯湾岳(694メートル)を控える東支那海に面した小さな集落である。当時はカツオ漁が盛んな戸数400程度の漁業の村と聞く。

そのような揺れに揺れている集落に、旧暦6月10日の祭りに伊是名が来た。この祭りは漁業組合が計画し、伊是名を招待、急遽こしらえたうどぅいなや(舞踊小屋のことか)、舞台なし、シートを敷きつめただけの場所で伊是名の舞踊が披露された。
「伊是名先生が来た。伊是名先生が来た」
と村の若い女性たちには大人気で、当時若かった母(二十歳)もがまんできず、ついに親のいいつけを守らず、友達と出かけたらしい。小屋の隙間からの覗きである。ちなみに祭りの弁当や入場料は無料。漁業組合がカツオ漁で景気がよかったのが伺える。帰宅して、うかれた母は父から(祖父から)大目玉をくらったのは言うまでもない。伊是名はよいが漁業組合はだめ…とのことらしい。

★★
大和村は東の今里(いまじょ)から西方向に志戸勘(しじゅわん)、名音(のん)、戸円(てん)、大金久、大棚、大和浜、恩勝、津名久、国直(くんにょり)の集落が続く。今里から大棚までを下方、大和浜から国直を浦内と呼ぶ。下方地区は東支那海に直接面し、性格・言葉使い荒く、浦内地区は湾内に臨む集落らしく比較的穏やかと言われるらしいが半分は当たっているかもしれない。

このような集落と名瀬市を、今里に住む久永永吉所有のポンポン船「今久丸」*1)がつなぐ。当時は道らしき道などない。各集落間や名瀬市までの人と物資の移動はすべてこのポンポン船である。今久丸は今里を朝の6時に出港。接岸できる集落の港を寄って、名瀬港には9時過ぎの到着。3時間ほど経って、午後1時過ぎにはまた名瀬港から今里へ還す。このポンポン船に乗って、伊是名先生一行は年に1回くらいの頻度できた、と母は言う。

昭和31、32年というと、伊是名朝献(三熊)70歳になろうとする頃、伊是名朝親(謙志)30代半ば、名瀬市に伊是名舞踊研究所が設立されて7、8年経った頃である。母が「伊是名先生」と言っていたのは、いろんな集落で舞踊を披露したり、ご教授されていたからだと思うが、たぶん伊是名の2代目朝親さんのことではないか…と想像するのは不自然ではない。伊是名先生と数人の若い女性が一緒に舞や踊りを披露、ときには学校の教室で、敬老会や十五夜祭りで、良かったよぉ~…母二十歳の若かりし頃の記憶。

★★★
ここまで書いて、島尾ミホ*2)の『海辺の生と死』の書き出しが気になった。「旅の人たち 沖縄芝居の役者衆」、「旅の人たち 支那手妻の曲芸者」…島尾ミホの加計呂麻島での幼い頃の記憶。マーラン船*3)に乗って海の向こうからやってきた沖縄芝居の役者とその内容について詳細に述懐している。おそらく1920年代から30年代にかけての記憶であろう。母も島尾ミホと同じように、海の向こうから船でやってくる舞踊一座を心もちわくわくしながら過ごした日々であったに違いない。

冬1月、伊是名の会の帰郷公演を楽しんだ母の話しは、昭和30年代の伊是名の活躍を具体的なイメージをもって彷彿とさせる…思いがけない伊是名の記憶であった。


*1)ポンポン船「今久丸」:エンジン機関のある動力船。戦後は「今里丸」との2船であったが「今久丸」に統合された。

*2)島尾ミホ(1919~2007):奄美(加計呂麻島)の作家。『海辺の生と死』(1974)で田村俊子賞を受賞。作家島尾敏雄の妻。

*3)マーラン船:エンジンのない帆船
伊藤孝志「道草楽描」http://rakugaki.b.station50.biglobe.ne.jp
昭和30年頃まで奄美、加計呂麻島で利用されていた。

投稿:
伊是名のジーファー 2011年5月21日
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なんと貴重なお話なんでしょう。ご推測の通り、「伊是名先生」は2代目の朝親、初代は「サングマ」と呼ばれていました。私が幼少の頃、祖父や父に連れられて、各集落の豊年際や敬老会など様々なイベントに招待され バスや舟を乗り継いで巡業公演をしていました。娯楽の無い時代でしたので、村中の人たちが集まり拍手喝采だったのを子供心に覚えています。1月の奄美公演を見たトシジさんのお母さんから、若い頃の二代目朝親の貴重な話が聞けて感激です。

私もびっくりした。まさか、母の二十歳の頃の話しが聞けるとは。師匠もわたしもまだ生まれていない。。。
奄美での帰郷公演、ほんとうにありがとうございました。
プロフィール

TOSHIJI

Author:TOSHIJI
こんにちは
伊是名の会スタッフ、文化広報担当(自称)。踊れない、歌えない、飲み会を断れない…が特技。伊是名のステージの見えないところに光をあてる…つもりで取り組んでいます。

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