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2011-05-29

東支那海1866年…宴の舞★4(奄美編)

注:一部フィクションです。

★4
奄美諸島には別の側面がある。薩摩藩の遠島処分の地だ。藩士の重野安繹(やすつぐ)もそのひとり。

安繹の遠島地は奄美大島南部の海に面した小さな集落、阿木名(現瀬戸内町)。その小さな村で安繹は失意の日々を過ごしたに違いないが、もともと薩摩藩きっての逸材・学識高いエリートである。やがて村の娘と恋に落ち、村人たちに四書五経を教え過ごしたとされる。その安繹に赦免が届いたのは1865年、配流になって7回目の夏であった。


安繹については原井一郎著「苦い砂糖」に詳しい。ここでは脚色と想像を入れて、安繹の赦免の日にタイムスリップしてみよう。

薩摩へ還るにはまず代官所のある名瀬村を目指す。阿木名から名瀬までは太平洋側の住用村ルートが考えられるが道のりは長く(約60Km)、険しい。これを徒歩で行くのが一般的であろう。あるいは近隣の集落へは土地のくり舟であるサバニも利用したかもしれない。


ともあれ安繹にとっては、待ち焦がれた薩摩への帰還の日がついにやってきた。しかし複雑な気持ちだった。恋に落ち、妻となった宇美と、彼女との間に生まれたまだ幼い娘との別れだ。阿木名の美しい珊瑚の海、優しい潮の音。安繹は潮騒のざわめきをかき消すかのように宇美を抱きしめた。

「必ず戻って来る!必ず」

後年、これは実現する。しかし、苦い再会となって。その後の安繹の輝かしい活躍、教えを受けた村人たちの類をみない活躍は他書に譲ろう。

阿木名を離れる日。この日は奄美の梅雨には珍しく良く晴れていた。安繹、早朝の阿木名の真っ白な珊瑚の砂浜を一歩、歩き出す。

★5
安繹は阿木名の村人たちのチヂン(手太鼓)で唄う「行きょうれ節」に別れを告げると、奉行所からの役人の同行で、静かな伊須湾を右手に見ながら、網野子集落を目指した。


TOSHIJIジーファー

投稿:
伊是名のジーファー 2011-05-29
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伊是名の会スタッフ、文化広報担当(自称)。踊れない、歌えない、飲み会を断れない…が特技。伊是名のステージの見えないところに光をあてる…つもりで取り組んでいます。

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