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2011-06-09

東支那海1866年…宴の舞★10

注:一部フィクションです。

★10
1866年2月、福州礼部の役人に引率された琉球王府の使者が紫禁城内閣からの指示で北京に待機しているとき、もうひとりの男が福州から北京に向かっていた。


この男、趙新、福建省の官人。所属官省の推薦を受けて冊封使選抜のために北京に向かっているところだ。日頃から上司への意見をモットーとしていたから推薦となった。冊封正使と副使は紫禁城で選抜され、皇帝が決定する。運よく(?)決定の勅を賜った正使らは、遠い琉球へは誰も行きたがらず、あの手この手で出仕を反古にしようとした。なかには左遷はもとより辞職・罷免覚悟の行動に出る情けない者もいたほどだ。

しかし、この趙新は違った。北京に行く前から、逃れることばかりを考えていた。最初は仮病を使ったがばれた。次に高齢の母の世話難儀を使ったがこれもばれた。なんだか出社拒否の現代人みたいだ。最後の手は日が悪い、忘れものをした、交通が悪い、…だらだらの北京道中だった。それでも紫禁城内閣からの催促からは逃れられず、しかたなく北京入城。2月冬。


琉球王府からの使者にとって北京の冬は想像を絶する寒さだった…に違いない。紫禁城の南西の隅、西華門の内側で執り行われた先王の告訃の儀では心臓が凍え停まりそうになった。寒いうえに侍立する大勢の宮廷官人らは全員が白の喪服、ときおり小雪が舞った。その中に皇帝、西太后らが同席のはずだが、遥か向こうの駕籠の中だ。制(みことのり)、下問等はすべて何人かの承制官をつないで行われる。琉球からの使者は震えと戦いながら、早く終わってほしいと願うばかりであった。
「拝・興、拝・興、拝・興、平身」
賛礼の声に何度もひざまずき、冷えたからだを暖めるしかなかった。

告訃の儀が終わって数日後、紫禁城宮廷では琉球王国冊封の正使と副使を選ぶ選抜の儀、発令を行う発令の儀が執り行われた。

★11
紫禁城の球技場…「全国冊封使選抜選手権大会」。西太后が垂簾の中から出すサインで10歳の皇帝(同治帝)が投げたボールが当たった男は、なんと趙新。たった3秒のゲームだった。

TOSHIJIジーファー

投稿:
伊是名のジーファー 2011年6月9日
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