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2011-06-12

東支那海1866年…宴の舞★12

注:一部フィクションです。

★12
泡盛のラベルが気に入った趙新の行動は180度転換、それからの琉球国へ向けての準備は信じられないスピードで進んだ。


北京から福州まで直線で約1800キロ。当時は通常60日間も要する旅程だったらしい。趙新はこれを馬や船を乗り継ぎ天津、済南、大運河、南京、鄱陽(ポーヤン)湖、南昌、閩江を下り、緑の山岳が広がる福州までのルートを40日強で駆け抜けた。各州の官舎で盛大な餞の宴が設けられたが趙新はこれを辞し、副使に丸投げした。春4月、温暖な福州着。


この頃、世界の海洋は蒸気船が主流である。清国も沿岸の警備に備え蒸気船を増やしつつあった。趙新は琉球国への航海に、当然のごとく蒸気船を要求した。しかしこれは実現しなかった。海防予算のほとんどが西太后の胃袋に消え、冊封使にまで回す蒸気船に余裕がなかったのが原因と言われている。結局、用意されたのは時代遅れの帆船(鳥船と呼ぶ)2隻。船体の長さ50メートル、幅9メートル、高さ5~8メートル。船室は3層からなり、船体に竹製と布地の巨大な帆が広がる。船首に操舵、ここから船体左右を通る強靭な籐のロープと船尾の巨大な舵・鉄刀木(たがやさん)が繋がる。この2隻に冊封正使、副使をはじめ琉球国までの針路案内をする琉球側通事(看針通事)を含め、総勢5百人が乗りこむ。ちなみに、似たような構造で小ぶりになった船が昭和30年代まで奄美沿岸でみられたマーラン船であるが、もちろん清国の鳥船(封舟)とは関係ない。

趙新は相変わらず不満を漏らしていたが、泡盛のラベルをそっと見ては気を静めるしかなかった。

★13
琉球国への冊封使節の出発の日取り、航海ルートが決まった。開洋(出帆)は6月…東支那海の南風が安定し、琉球の梅雨が明ける季節である。

TOSHIJIジーファー

投稿:
伊是名のジーファー 2011年6月12日
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